南太平洋タヒチより、こんにちは。
日本でも、きっと今頃はクルージング日和をむかえていると思いますが・・・。 ぽれーるは、約1箇月におよぶマルケサス諸島のクルージングを終え、ツアモツの珊瑚礁を経てタヒチのパペーテに現地時間5月21日10時に到着しました。
マルケサスのヒバオア島アトゥオナでは偶然にも日本のヨットのリバティ号に会い、艇長の林さん、クリューの金子さん、カナダ青年のフィリップ、リバティ号と行動を共にしているアメリカのヨット「ナマステ」のアレックス、彼のガールフレンドの日本女性とカレーパティー、天ぷらパティー、カラオケパティーと久々の日本語三昧の楽しい3日間をすごしました。 また、私のマルケサス寄港の目的の一つであったヒバオア島アトゥオナの丘のゴーギャンの墓に詣でることができ、少し感傷的になりました。・・・ 「我、アトゥオナの丘に立ち、島の娘の横顔に、在りし日のゴーギャンを偲ぶ・・・」
ヨットによるクルージングでは、全てが順調というわけではありません。ツアモト諸島・ガンギロア環礁のパスでは、6ktの速い海流と逆巻く波の中でエンジンが不調になり、あわや座礁かと冷や汗をかきました。また、なんとか乗り切った環礁の中のアンカリング中に風が40kt近くになり、走錨してヨットが流され、暗礁へと近づく中、なかなかアンカーが上がらず、約1時間半の格闘の末、最後にアンカチェーンが切れ、ぎりぎりのところで環礁を脱出することができました。そういえば、どこの環礁でもパスを乗り切れずに座礁し、朽ち果てたヨットが何隻か海岸に打ち上げられている姿を見ます。
すっかり疲れ果てても、ソロセーラーは約80近くの環礁が点在する海域では、眠ることができません。一見すると通過できそうな海域も、近づくと危険な珊瑚礁が待ちかまえています。米国で購入したGPSマップには暗礁地帯の記述はありません。もちろん、海面下の暗礁はレーダーにも写りません。結局、その日は一睡もすることができませんでした。しかし、美しいエメラルドブルーの海、白い砂浜、椰子の木の緑が鮮やかな島影、そこで見た星空は一生忘れることはありません。昔の帆船時代のセーラーは正確な地図もなくGPSもない中、命がけの航海が続いたことから考えると、まだまだ恵まれているかもしれません。
パペーテの街の中の港は、久々の都会というか、車が行きかうメインストリートに間近に面しており、排気ガスと騒音は日本の東京を思わせます。行きかう人々も少しよそよそしい感じで「ボンジュール!」とこちらから挨拶しても、半分ぐらいの人からしか返事はありません。むしろ、なぜ知り合いでもないのに声をかえるのかという怪訝な顔をする人が多いような気がします。もし東京で見知らぬ人に通りすがりに挨拶をしたら、きっと変人と思われるよりはましではないかと思います。そんな中でも、アンカリング地の近くで何かの警備をしているガードマンのサブウェイとは仲良くなりました。彼は私がぽれーるの入港届けを提出するため、少し離れたところにあるポートキャプテン事務所に出かけようとした時、キャビン・ドアとディンギーの施錠、貴重品を船の上に置かないようにと注意してくれました。もちろん、英語混じりのフランス語ですからはっきりとは分かりませんでした。
タヒチは現在冬の季節ですが、日中の気温約32度、湿度約75%、夜間は27度程度とわりと過ごしやすい気候です。タヒチ島の沖合約1kmには珊瑚礁の浅瀬が島全体を取り囲む防波堤のようにつながっており、太平洋の大きな波の砕ける音がしています。マリーナはちょうど内海にあり、静かなコーラルブルーが広がっています。
結局、ぽれーるはエンジンの修理のため、パペーテの約4マイル南に位置するマリーナ・ティアナに移動し、タヒチでぽれーるに乗船する予定のヨット仲間の二人をマリーナ・ティアナで待つことになりました。
また、マルケサスで少し一緒にクルーズをしたオーストラリアのヨット「ボラーレ」がマリーナの沖合でアンカリングしており、わざわざぽれーるまで来てくれ、私の顔を見るなり、「ヒデは少し痩せたようだから、今日は焼き肉パーティーをしよう」と言って私を彼等のヨットに招待してくれました。停泊中の船をよく見ると、何隻かは他のアンカリング地で知り合ったヨットがおり、航海中に何マイルか離れて航行していたスロベニアのヨットと無線交信しただけの仲でも、あらためて再会を確かめ合うようにお互い声をかけ合いました。どこに行っても世界のヨット人と例え言葉があまり通じなくても直ぐに仲間になることができます。これがヨットによるクルージングの楽しみの一つです。
5月26日現在、エンジン修理は終わり、やっと一段落したところです。これから約2箇月間、新しくぽれーるの仲間になる日本から来る二人とモーレア、ボラボラを含めたトロピカル・クルーズを楽しみにしています。
ぽれーる船長 関
こんにちは、皆さん。
ぽれーるは、約2箇月間、モーレア島、フアヒネ、ライアテア、タハア、ボラボラ島でアンカリングしながら島々を巡ってきました。ほとんどが観光コースから離れた島の人々の生活場所で、素朴な人々との出会いが楽しかったです。村のがたがた道を歩いていていると、突然、トラックが止まり「どこへ行くのか?(言葉はあまり分かりませんが)」、荷台に乗せてくれました。また、民家の庭先で水道シャワーを借りたりしました。
これらの島々の村では、あくせく働く人はほとんど見かけません。時間がゆっくりと流れ、その中で人々はゆっくりしたリズムで生活しています。しかし、島の中心地の街では、歩いて10分ぐらいの信号のないメインストリートの車の多さに驚きます。ここフレンチ・ポリネシアでは、政府により人々の最低限の生活は保証されているようで、日本の2倍以上もする価格にもかかわらず、借金をして車を買う人が多いそうです。また、有名なホテル周辺を除くと、大きな街ほど治安が悪く、町中が空き缶、ペットボトル等のゴミで汚れています。南太平洋の楽園としての顔と近代文明の流れに翻弄された社会の二面があるようです。
ぽれーるは、日本へ帰る友人たちを見送るため、再びタヒチ島マリーナ・ティアナに戻っています。 モーレアのヒコさんには、島を案内していただいたり、車で買い物に連れて行ってもらったり、日本からの荷物の受取、すばらしいアンカリング地の紹介等で、たいへんお世話になりました。
ぽれーるは、この後、クック諸島のラロトンガに向かう予定です。再び、一人航海になりますが、既に、オーストラリア、アメリカのヨット仲間が当地に到着しており、メールでラロトンガの様子を教えてくれています。
ぽれーる船長 関