もうすっかり、日本は秋らしくなりましたか。それとも、まだ、残暑が続いていますか。皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。
ぽれーると私は元気でクルーズを続け、トンガのニウアトプタプ(Niuatoputapu)(南緯15度57分、西経173度44分)を経由して、9月23日にトンガのババウ(Vavau)(南緯18度39分、西経173度59分)に着いています。(日付変更線を越えたため日本と同じ日付になりました。時差+4時間)
トンガのニウアトプタプは、本当にいいところでした。サモア・アピアを現地時間9月13日12時に出港し、南西に約180マイル(約270km)離れたニウアトプタプ沖に15日23時(日付変更線を越えたため一日加算)に着き、その夜は洋上で漂流セーリング(ヒーブーツ)をしました。風が平均約25ktと強く、波が約3m、時々雷と更に強風を伴ったすごいスコールがをやって来て、真っ暗で風が吹き荒れ、近くに鳴り響く雷の轟音と閃光の中で眠られない夜を過ごしました。ぽれーるはかなりピッチングとローリングをしていました。朝方周囲を見ると結構沖合にも浅瀬と暗礁があり、ヒーブーツ中に流された方向が幸運で事なきを得ました。
ニウアトプタプのパス(ラグーンへの入り口)は分かりにくく、浅瀬が多いため難所と言われています。無線でハーバーコントロールにコンタクトを試みましたが応答がなく、そのうちニウエで知り合ったオランダのヨットNoorderzonの奥さんから「ヒデ、パスは狭く、浅瀬が多いので気を付けて、島側にあるトランシット(入港方向の目印)を見つけてから入って来て!」とアドバイスをもらい、本当にありがたい思いでした。ラグーンの中は、先ほどまでの嵐のような海とは一変して穏やかで静かな水面が広がっており、既に10隻のヨットが停泊していました。
アンカリングを終えて一休みしていた時、隣の米国のヨットSISIUTLのボブがやって来て、「今日の午後、近くのモツ(環礁の小島)でニウアトプタプ島の人たちと親睦を兼ねた食事会が開かれるので、よかったら来ないか。」と声をかけてくれました。本当は疲れていて眠たかったのですが、誘いを受けることにしました。私が疲れていることを察してボブは自分のディンギーでモツまで連れて行ってくれました。モツに着くと先ほど無線で交信したNoorderzonの奥さんのミーヤン、フランクにお礼をし、サモア・アピアで一緒だった米国のヨットCyanのチャーリーに挨拶し、他のヨットは初めてでしたが挨拶を交わし、ほとんどの方がぽれーるの大きな日の丸を見たよと言ってくれました。
モツでは既に地元の島の人たちが食事の用意と場所の設定をしてくれており、各ヨットからはそれぞれの奥さんの得意のパイが準備されていました。私は何も持って来れなかったのですが、皆さん食べ物と飲み物を勧めてくれました。中でも、地元のニコ家族はとても親切で特製のジュースやサツマイモのような味の蒸した果物を勧めてくれました。翌翌日の月曜に、トンガのカスタム、イミグレーション等の入国管理官が小舟でぽれーるに来て入国手続きが行われました。ニウアトプタプには発電設備がなく、夜になると島も真っ暗になります。島の道は舗装がされていなく、雨が降ると至る所に水たまりができます。島の人たちの住居もかなり質素です。少し立派に見える建物は教会だけです。
島の子供たちはニコニコしながら「ハローハロー」と言って付いてきます。どこに行っても大人は会う度に「タバコを持っていないか。」と聞いてきます。この島では2箇月か3箇月に一度しか連絡船が来ないそうで、それも小さな船でいつも物資が不足しているようです。ニコ家族の家は桟橋から約300m山側にあり、先日のお礼と家族の写真、長女と長男のパスポート用写真を撮ってプリントアウトしてあげました。19日には、ニコの家の庭先で子豚二頭の丸焼きはじめ、各種のローカル色豊かな食事会に他のヨッティーとともに招待され、楽しい時を過ごしました。
20日ニウアトプタプを出港し、ババウに向かう朝、わざわざニコと奥さんのシーヤがカヤックで見送りに来てくれ「よい航海を!」と言って別れましたが、後ろ髪をひかれる思いでした。ここに来なければ出会うことのない人たちとの親交、素晴らしい自然、そして別れ、また、出会いを求めての出発、これがクルージングの旅です。
ババウについての通信は、次回のメールにします。
ぽれーる船長 関
最近、ババウ(Vavau)(南緯18度39分、西経173度59分)は雨がつづき、南国の島というより、日本の梅雨の松島(仙台)のようです。日本の松島も美しいところですが、ババウは複雑な入り江と点在する島々に松島の松林のかわりに椰子、マンゴーの木等が繁っていて、珊瑚礁とコーラルグリーンの海がとても美しく、世界を旅するヨット人の憧れの地となっています。
ババウに来て知り合った日本人女性はお二人です。フジセ・タカコさんは、ぽれーるがちょうどババウ・ネイアフ(Neiafu)のパスを通過中、湾からでて来たオーストラリアのヨット「ポラリスU」とすれ違いざまに日本語で「こんにちは!関さんですよね!・・・、カラオケ楽しんでいますか・・・」と挨拶され、少し面食らった出会いでした。ポラリスUは、以前から何回かアンカリング地で会っていましたが、日本人女性が同乗しているという記憶はありませんでした。
上陸して、マーケットで買い物中にポラリスUのマイケルとミッシェルに出会い、タカコさんがJICAのボランティア(青年海外協力隊)としてババウ病院で歯科医として勤務されていることを知りました。後日、私は病院まで出かて挨拶し、ちょうど同じ湾内で停泊中のカナダのヨット「ガイア・スー」に夕食を誘われていたので、タカコさんと後半で紹介するヨウコさんと一緒にガイア・スーを訪ね夕食をいただきました。また、近くのカフェでアメリカのヨット「フィフス・シーズン」の奥さんが、ハープと歌のミニ・コンサートをやるというので、みんなで出かけ、素晴らしい演奏と歌声を間近に楽しみました。ガイア・スーのジュラードがカナダで歯医者さんだったということでタカコさんと二人で専門的な話でたいへん盛り上がっていたようです。
マツノ・ヨウコさんは、同じくJICAのジュニア・ボランティアとして、地元のババウ高校で日本語の先生をしています。ヨウコさんはぽれーるの停泊している沖合まで、ドイツの友人と一緒に日の丸を見たということでボートで訪ねて来てくれました。ぽれーるで天ぷらパーティーやカラオケ、DVDを観て一緒に楽しみました。また、ヨウコさんに誘われて、ちょうどフランスで行われている「ワールド・カップ・ラグビー2007」トンガ対イングランドの試合を近くのカフェの大きなスクリーンで観戦しました。残念ながらトンガはイングランドに負けてしまいましたが地元の人たちと共にたいへん盛り上がりました。
10月1日にはババウ高校に出かけ、地元の女子高校生とともにヨウコ先生の授業に参加しました。彼女たちは漢字を含めた文章とそんなに多くない語彙の中からでも上手に日本語を話します。これもヨウコ先生の成果だと感心しました。 海外の途上国でボランティアとして活躍している多くの方は、決して恵まれた環境といえない中でも、明るく献身的に活躍されています。そういう方々に出会えたことに感謝し、また、そういう方々から精神的なパワーをいただいて旅を続けていくことができます。
ババウ滞在中にもう一つ嬉しいことがありました。それは昨年8月、東京からやっとの思いでたどり着いたビクトリアで知り合ったカナダの練習帆船「パシフィック・グレース」のトニーとジョーダンに偶然にもババウで巡り会えたことです。ビクトリアで彼等と「いつか、どこかで、また再会しよう」と言って別れ、広い太平洋の小さな国トンガのババウでそれが実現したからです。ちょうど一緒にいたヨウコさんとともに船内を案内してもらいました。残念ながらパシフィック・グレースはその日のうちに湾を抜けた沖合でアンカリングするため出港していきました。この後、パシフィック・グレースは南の島々を巡り、上海、沖縄を経て大阪に立ち寄り、カナダのビクトリアに帰る予定です。機会があったらぜひ訪ねてみて下さい。
ぽれーるは、この後、フィジーのサブサブ(Savusavu)(南緯16度46分、西経179度20分)に向かいます。
ぽれーる船長 関