3. ブリスベンからケアンズへ

 9月12日、ヨット仲間の橋本さんと共にブリスベンを出港し、オーストラリア大陸の東海岸に沿って上がり、谷村さん、山崎さんが待つウィットサンデーWhitsunday(南緯20度、東経149度)を目指し約600マイルのクルーズを開始しました。運悪く2〜3日前から北よりの向かい風が吹いており、浅瀬の多いモロトン湾内の細い水路を機走し、途中、鯨の潮吹きや海面に現れる黒い背を間近に見ながらやっと湾の出口に到着しました。

 湾の出口から弱い北風の中、セーリングを開始したものの1〜2ktの北からの海流に阻まれぽれーるは北方向に上がれずほぼ東進状態でした。何回かのタックを行いましたが一向にウィットサンデーへの距離を縮めることができませんでした。仕方なく機走に切り替えた時には海流約5ktとなり、ぽれーるの前進スピードは機走しても1kt程度しか出せませんでした。

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( Brisbane 〜 Whitsunday )

 途中、オーストラリア・コースト・ガードの哨戒機による無線でのチェック受けたりしながら、ブリスベンから約160マイルのフレーザーFraser島北端のサンデーSandy岬(南緯24度42分、東経153度15分)をかわすのに約5日間もかかってしまいました。後で気が付いたことですが、北に向かう大型船もこの海流の影響を少なくするため、かなりフレーザー島の東岸近くを航行していました。

 フレーザー島をかわしたところでやっと海流が1〜2ktに落ち、風も少しずつ東よりに変わり、何とかセーリングできるようになりました。ブリスベンから6日かかってやっと最初のアンカリング地であるレディーマスグレーブLady Musgrave島(南緯23度55分、東経152度23分)に着きました。  レディーマスグレーブ島は東西が2.5マイル、南北2マイルの卵形の環礁(アットール)で流れの速いパスを抜けると透明度の高い海水と珊瑚の海底が待っていました。早速、ひと泳ぎしたり、カヌーで静かな海面を散策し、たった一日の滞在でしたがクルーズの疲れを少し癒すことができました。

 グレートバリアリーフ(GBR)はオーストラリア東岸沖の南緯22度付近からヨーク半島の先端をとおり、パプアニューギニアの近くまで約1000マイルに分布しています。また、今回ぽれーるがクルーズするGBRとオーストラリア東海岸に挟まれた内海は、南の入口辺りでは約60マイルあり、北に上がるほどその幅は狭くケアンズの北では水路のように細くなり、再びヨーク半島の先端では約60マイルになっています。南緯27度にあるブリスベン、25度のバンダバーグ、24度付近にあるレディーマスグレーブ島は正確にはまだGBRの内海に入っていません。

 GBRの内海は水深がほとんど50〜60mで、海底は泥質で緑色の海は透明度(1m程度)がよくありませんでした。また、内海をクルーズしている時、海面を泳いでいるウミヘビをよく見かけました。鯨はオーストラリア東岸の湾内の比較的浅い海底が砂地のところにいるようですが、餌を求めてGBR内海を回遊しているようです。遠くでジャンプしているところとか潮吹きを時々見ることができましたが、今回はなかなか近くで見ることは出来ませんでした。しかし、海面には鯨の群れが移動したときに残る多量の黄色い排泄物が帯状となっていたるところに流れていました。

 オーストラリアの東岸にある漁港やマリーナは、ほとんどが河口内や湾の奥にあり、港の出入り口を示す幅40mぐらいの航路帯標識が約3〜5マイル沖合に伸びています。その中を通って船が出入りするのですが水路内は意外と浅く流れがあるため、ドラフトが2mを越えるようなヨット等は干満と潮流に注意する必要があります。ぽれーるも何回かキールを海底に擦りながらこのような水路を通りました。レディーマスグレーブ島を出てぽれーるはGBR内海の航路帯に近づき、大型船を避けるためバリアリーフに近い内海の本土から少し離れた約40マイル沖合を航行しましたが、一度夜中に大きなコンテナ船が間近を通過していきました。

 谷村さんとは当初、21日にウィットサンデーのハミルトンHamilton島(南緯20度21分、東経148度57分)で待ち合わせを計画していましたが、ぽれーるのウィットサンデー到着が3〜4日遅れそうなので、衛星メールで待ち合わせ先をアーリービーチAirlie Beach(南緯20度16分、東経148度43分)に変更しました。アーリービーチはハミルトンから北西に約20マイル離れた本土側にあり、ウィットサンデー観光のベースポートの一つとなっています。

 日本からのオーストラリア旅行先としてウィットサンデーはあまり耳にしませんが、オーストラリアの地元では高級リゾート地、別荘地、クルーズのメッカとして有名で、高級リゾートホテルが点在しています。バックパッカー等の若者や一般旅行者は安価にウィットサンデー観光、クルーズツアー、ダイビングを楽しむためアーリービーチを起点にしている人が多いようです。

 ぽれーるはブリスベンを出て12日目の24日にウィットサンデー諸島の北にあるハイマンHayman島(南緯20度02分、東経148度53分)を回ってやっとアーリービーチのあるパイオノアPioneer湾に到着することができました。この時点になってやっとアーリービーチで待つ谷村さんと日本の携帯電話が一方送信ですが繋がりました。市内の西にあるエーベル・ポイント・マリーナAbel Point MarinaにVHFで連絡し、バースへの係留を要求しましたが、マリーナの沖合で約2時間ほど待たされたあげく、ぽれーるにオーストラリアの国内ボート保険がかかっていないことからマリーナへの係留を断られました。

 ブリスベンのリバーゲイト・マリーナではボート保険の要求はされませんでしたが、オーストラリアに限らず、それぞれのマリーナのポリシーでその国に有効なボート保険を要求されることがあります。ニュージランドでも同じようなことがあり、ぽれーるもニュージランドに滞在している時、ニュージランドのボート保険をかけました。自船の船体保証をかけない対物と第三者補償のボート保険であれば保険額もそれほど高くないので、3ヶ月以上滞在してマリーナに停泊する場合は入国と同時にその国のボート保険に入っておくのもいいかもしれません。

 ぽれーるは、マリーナのバースへの係留を諦め、マリーナ内の給油バースに横付けして谷村さんをピックアップし、燃料補給を行ってマリーナから約0.5マイル離れたアーリービーチの東側にあるウィットサンデー・セイリング・クラブの沖合のブイに係留しました。2日間アーリービーチに停泊し、食糧の調達と谷村さんとの再会を祝して街中のレストランで再会歓迎会を行いました。

 ウィットサンデー・セイリング・クラブは海外からのヨット歓迎といったクラブでブイ係留はノーチャージでした。クラブの沖合では毎日のように子供達が小さなディンギーヨットでセーリングの指導を受けており、また、クラブハウスのレストランではクラブ員らしい人達が海を眺めながら食事やビール等を飲んでいました。ぽれーるの我々もクラブの洗濯機で汚れ物の洗濯し、久しぶりに温かいシャワーを浴び、クラブハウスでビール等を飲みました。ウィットサンデー・セイリング・クラブの旗とぽれーるの持っていた東京クルージング・ヨット・クラブ旗も儀式はありませんでしが受付の女性との間で交換を行いました。

 話は少し変わりますが、ドコモの携帯電話は日本国内では主流で、海外でそのまま使える国際ローミングとして約200カ国で通話可能とされています。もちろん、ドコモの携帯電話はオーストラリアでも可能となっていますが、実際には携帯電話の型式をよく確認しておかないとブリスベンでは使えてもウィットサンデー、ケアンズでは使えないということがあります。電話を受けることができても発信ができないということもあります。

 皆さんも海外旅行に出かけて自分の持っている日本の携帯電話を使う場合は事前に携帯電話の会社によく確認をしておいて下さい。また、日本の携帯電話を海外で使う国際ローミングは非常に通話料等が高いことも認識しておいて下さい。私の持っている日本の携帯電話はボーダーフォン系統でオーストラリアでは全ての区域で通話が可能でした。しかし、私は非常の場合以外は日本の通話料の高い携帯電話を使わないことにしています。

 一度、カナダのビクトリアで日本にいるときと同じ感覚で使った時、その月の通話料は約40万円でした。今はフィジーにいる時にイタリアのヨット仲間からタダでもらったNOKIAの携帯電話にそれぞれの国のシムカード(US10ドル程度)を買ってプリぺード方式で使っています。日本の携帯電話よりは非常に安価な料金で通話ができます。

 また、それぞれの国でその国の電話を持つということは、そこで知り合った人やカスタムス、イミグレーション等の公共機関への連絡や電話を受けることが出来ます。もちろん、日本への国際電話も日本の携帯電話よりも安くかけることが出来ます。国際電話はインタネット電話「SKYPE」が断然安いですが、「SKYPE」にはパソコンとインターネット環境が必要です。小さくて持ち運びが便利で電波の届く範囲であればいつでも連絡できるといった面ではやはり携帯電話が一番です。

 ぽれーるは橋本さん、谷村さんを乗せ9月26日午前にアーリービーチを出港しウィットサンデー・クルージングを開始しました。当日は南の風が強くパイオニア湾を出たところで風速が一時40ktに上がったため、少し戻ってファンネルFunnel湾(南緯20度15分、東経148度45分)で一泊し、風のおさまった翌日27日、フックHook島のナラ・インレットNara Inlet(南緯20度08分、東経148度55分)へ約15マイルのクルーズを行いました。  ナラ・インレットはクルージングのメッカらしく既に約10隻のヨットやパワーボートがアンカリングしており、日の丸を掲げたぽれーるがそのヨット等の近くを通り過ぎる時、その船のクリューから「コンニチワ!」とよく日本語で挨拶されました。インレットの奥側でアンカリングを行い、早速、ディンギーで上陸して山の中腹の洞窟にあるオーストラリア先住民アボリジニが描いた壁画を見たり、見晴らしのいい場所まで上り、インレットに停泊中のヨット等を眺めました。

 もう一人のぽれーるへの乗組み予定の山崎さんが9月29日、ケアンズからハミルトン空港に着きハミルトン島のマリーナでピックアップする予定だったため、28日はナラ・インレットを出てシドCid島に移動し、シド島の西海岸沖(南緯20度16分、東経148度55分)でアンカリングしました。翌29日は早朝にシド島を出発しハミルトン島の1マイルほど手前にあるデントDent島北(南緯20度20分、東経148度56分)で山崎さんの搭乗した飛行機が着陸のため上空を通過するのを待ちました。

 その飛行機を確認の後、ハミルトンのマリーナ内にぽれーるを入れ、桟橋に着けられないため、谷村さんがディンギーで山崎さんを迎えに行くことになりました。マリーナ内の入口近くの海面で止まっていたぽれーるへマリーナ関係者がパワーボートで来て、停泊しない船のマリーナ内への乗り入れは他の船のマリーナへの出入りの障害になるのでマリーナから直ぐに出るようにと勧告を受けてしまいました。ちょうど桟橋からフェリーが出港し、ぽれーるに迫る直前でしたが何とか山崎さんをピックアップし、大急ぎでマリーナから出ました。

(写真をクリックすると拡大します) ウィットサンデー・クルーズ ウィットサンデー・クルーズ

 予定していた4人が揃ったところで、あらためてウィットサンデー・クルーズを開始し、先ずはハミルトン島の北側を回りソルウェー・パスSolway Passを抜けて白い砂浜で有名なウィットサンデー島にあるホワイトヘブン・ビーチWhitehaven Beachを目指しました。ホワイト・ヘブン・ビーチは約5kmほどの白い砂浜が続き景観の美しいところとしてウィットサンデーを代表する名所の一つです。

 沖合のアンカリング地(南緯20度17分、東経149度03分)には既に大きなクルーズツアー帆船やスクーナー等を含めた多数のヨットが停泊していました。シーカヤックで訪れた若い人達やツアーの人達が砂浜を散策したり水辺で遊んでいました。ぽれーるもアンカリングを終えたところで、早速、ディンギーで上陸し、日本を代表するおじさん4人は若い女性のビキニ姿に少し気を取られながらも記念写真を撮ったり白い砂の浜辺の散歩を楽しみました。

 翌30日にはアンカリング場所を3マイルほど北の同じウィットサンデー島にあるトング・ポイントTongue Pint(南緯20度14分、東経149度02分)へ移し、ホワイトヘブン・ビーチの北の端にあたるところから始まるヒル・インレットHill Inletを訪れました。ヒル・インレットは奥行が約3マイルの入り江で両サイドを山の稜線で挟まれ、入り江の入口は0.5マイル程の幅があり、奥に行くほど両サイドの山が迫って狭くなっています。

 このインレットは潮の引き具合でブルーの海がライトブルーに変わり、更に白に近い淡いブルーを呈し、最後に目映いばかりの真っ白な砂地が現れます。また、所々に取り残された海水のブルー、潮が引くときに出来た蛇行したブルーラインと白い砂、それらを挟む山の緑の織りなす景観はとても口では言い表すことの出来ない美しさです。

 残念ながらぽれーるのようなキールヨットはこのインレットに入り込むことは困難ですが、我々がこのインレットを訪れた時は3隻のカタマランヨットがほとんど砂の上に鎮座し、次の満潮までの美しい景観の変化とゆっくりとした時の流れを楽しんでいる様子でした。

 ウィットサンデーを訪れるのが2回目の山崎さんが案内役をかってくれ、ヒル・インレットを見渡せる展望台や海水が引いた砂地を歩くことが出来ました。その日は近くのアポストルApostle湾(南緯20度14分、東経149度00分)でアンカリングし深い山間の静かな湾でぐっすり休むことが出来ました。

 10月1日は南東の風に乗ってぽれーるは北上し、フック島を左手に見ながら北の端を東から回り込みハイマン島の北端(南緯20度22分、東経148度53分)をかわしてハイマン島の西のブルーパール湾(南緯20度03分、東経148度53分)で停泊しました。このブルーパール湾の岸近くはダイビング・ポイントとなっているらしく、その日の夕方までに5隻のツアー・ヨットが停泊し、多くの人がダイビングやスノーケリングを楽しんでいました。このツアーに使われているヨットは70ftクラスの現役を引退したようなレーシングヨットで1隻当り30人近いツアー客を乗せていました。ぽれーるからも山崎さんと谷村さんが対岸に行ってスノーケリングを楽しみ珊瑚や魚の水中写真を撮って帰って来ました。

 10月3日の朝に谷村さんがアーリービーチからケアンズへ長距離バスで行き、ケアンズから飛行機で日本へ帰ることになっていましたので、ぽれーるは2日に再びアーリービーチに戻ってウィットサンデー・セーリング・クラブの沖合でブイ係留しました。そして、その日の夕方、市内のレストランで谷村さんの送別会とウィットサンデー・クルーズの打上げを行い大いに盛上がりました。しかし、その夜のウィットサンデー・セーリング・クラブの桟橋からディンギーでぽれーるに戻る時にちょっとしたハプニングが起ってしまいました。

 曇り空の海上は真っ暗で小雨がぱらつき12〜13ktぐらいの風が陸から沖合に向って吹いて海面は少し波が立っていました。桟橋からぽれーるまでの距離は約400mぐらいですが、その日に限ってディンギーでいくら走り回ってもブイ係留しているはずのぽれーるを見つけることが出来なかったのです。沖合には約30隻のヨットがブイ係留やアンカリングをしおり、それぞれアンカリング・ライトや灯火を点けていました。もちろん、ぽれーるもソーラー・ライトが点いていましたが、暗い海上ではかなり近づかないと船影の確認が出来ませんでした。

 また、ディンギーの船外機は一週間ぐらい前からエンジン回転を上げるとプロペラは滑ってしまって推力が失われるという不具合が発生していましたし、20分ほど探し回って船外機の燃料残量も少なくなっていました。その時の私の頭にはアーリービーチの翌日の朝刊に「日本人ヨットマン4人が夜中のアーリービーチ沖で遭難し、対岸にディンギーで流れ着いたところをコーストガードに救助される!!」何故か日本語の活字が浮んでいました。

 燃料のある内に陸側の明りで確認できるクラブの桟橋に戻ることを決意し、200mぐらい桟橋に向け走った時、同乗していた橋本さんがぽれーるの近くにブイ係留していた特徴のあるヨットを見付け、それを頼りにやっとぽれーるに帰り着くことができました。本当に同乗の皆さんにご迷惑をかけました。実は、このような経験は外洋クルーズに出て今回で2度目のことで、1回目のフィジー・サンドウィッチ湾での苦い経験はほとんど生かされなかったことに深く反省させられました。

 初めて訪れるアンカリング地では暗くなる前に船に帰ること、天候が悪くなると予想される時は上陸しない、暗くなっても船位をしっかりと把握できる目標を確認しておく、飲酒はほどほどにしておく、船外機の燃料は出来るだけ満タンにし、気に掛る不具合は早めに対処しておくこと・・・。

 3日の朝、8日間ウィットサンデー・クルーズを共にした谷村さんが下船して日本へ帰って行き、橋本さん、山崎さんと私の3人となり、取りあえずケアンズに向けクルーズを続けることにしました。

 10月4日の朝にアーリービーチを出港、南東の10kt前後の追風の中を平均4ktで夜通し帆走し、5日の午後にアーリービーチから約100マイル西北西にあるケープボーリング・グリーン(南緯19度19分、東経147度23分)でアンカリング、6日には、更に34マイル西北西のマグネチックMagunetic島のホースシューHorseshoe湾(南緯19度07分、東経146度51分)でアンカリングしました。

 オーストラリアの今回クルーズした中では大きな町の観光地を除くとほとんどの地方の観光地は人通りも少なく静かな雰囲気のところが多いようです。日本人的な観光地の評価からすれば人通りが少ないため萎びれた活気のない観光地と位置づけられてしまいそうですが、その分ゆったりとした時間が過せそうなところがほとんどでした。マグネチック島もそういう観光地でした。

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( Whitsunday 〜 Cairns )

 7日は、またマグネチック島から北北東に約38マイルのオルフェスOrpheus島のリトル・パイオニアLittle Pioneer湾(南緯18度39分、東経146度29分)でアンカリングと小刻みにクルーズし、8日にこのクルーズの一つの目的地としていたヒンチンブロックHinchinbrook島の南側の海峡入口(南緯18度30分、東経146度23分)に着きました。ヒンチンブロック島は淡路島を二回りぐらい小さくした面積の島で山裾には熱帯雨林が茂り、島の中央の背にはクィーンズランド州最高峰のマウントボーエン(1121m)をはじめ高い山がそびえています。

 比較的平らなオーストラリア東海岸の大陸を眺めてクルーズしてきた者にとっては初めて高い山に出会った感がありました。島全体は国立公園となっており、ブッシュウォークのためのトレイルとキャンプ場はありますが、北端の一軒のホテルを除くとほぼ無人島です。また、オーストラリア大陸とヒンチンブロック島の間には川のようなチャンネルが続いており、チャンネルの中央部にはマングローブ林と迷路のような水路が縦横に走っています。

 オーストラリアの海岸にはこのヒンチンブロックのようなチャンネルやインレットが沢山あり、ヨットやボートは海原とは違った林や山間のチャンネル・クルーズを楽しんでいる人も多いようです。ぽれーるは全長約28マイルのヒンチンブロック・チャンネルの南口にあたるルシンダLucindaからチャンネル・クルーズを開始し、約10マイル入ったチャンネルの中程にある小さなハイコックHaycock島(南緯18度28分、東経146度13分)の北側で1日目はアンカリングを行いました。しかし、このマングローブの林はアブの住みかになっているらしく、停泊時もクルーズしていてもよく足や腕に「チック!」と痛みを感じたらアブに噛まれていました。橋本さん、山崎さんと私の3人の内、一番アブに攻撃されていたのは午(馬)年生れの橋本さんでした。ちなみにアブは英語でホースフライHorseflyといいます。

 翌9日、ヒンチンブロックの高い峰の頂から雲が滝の水のように降下しているのを見ながら、さざ波も立たない鏡のようなヒンチンブロック・チャンネルをクルーズし、その日の午後にはケープ・リチャードCape Richardsのリゾートホテルの前のミッショナリMissionary湾(南緯18度12分、東経146度13分)でアンカリングしました。この湾の奥にはマングローブの林があり、その林の中にはクリーク(小さな入江)が多数水路のよう伸びています。吃水の浅い船であればこのクリークをさか上り、マングローブ林の奥に入り込むことができます。ぽれーるのようなキールボートは残念ながらこの水深1m前後のクリークに入ることは出来ません。

 早速、上陸してリゾートホテルで翌日のクリーク・クルーズ船の乗船予約を入れ、ホテルのラウンジでビールを飲みシャワーを浴びて、ホテルの裏手にある美しい海岸を散策しました。翌日、ホテルの前の桟橋からクルーズ船に乗り、かなりのスピードで湾を横切って、狭いクリークの奥へに入いりました。途中クリークの中程で魚釣をしている小さなボートやアンカリング中のカタマラン・ヨットを見ながらクリーク・クルーズを楽しみ、クリークの奥地で上陸してマングローブ林の中をブッシュ・ウォークし、ラムゼイRamsay湾の美しい海岸を散策しました。クルーズ船は帰えりの途中の海岸で我々を下ろし、そこからリゾートホテルまでの約6kmのジャングル、海岸、山越えのトレイルを楽しみました。

 10月11日朝、再びぽれーるはケアンズに向けクルーズを開始し、ダンクDunk島、ハイHigh島、フィツロイFitroy島でアンカリングを行いました。ハイ島は無人島ですが、ダンク島とフィツロイ島はそれぞれリゾートホテルがあり、地方の静かな雰囲気の観光地でした。

 ブリスベンを出港してから約1ヶ月の10月15日に、今回のヨット仲間と共にするクルーズの最終目的地ケアンズに到着しました。ケアンズの港もやはりトリニティ湾から続くトリニティ・インレットの入口付近ににあり、沖合に伸びる狭い水路標識の間を航行してマリーナに着くことができました。当初、ケアンズでのマリーナ停泊はアーリービーチのマリーナで要求されたオーストラリア国内ボート保険が要求されるのかと思いましたが、我々が停泊したマーリン・マリーナは市営マリーナでしたが、特にそういった要求はありませんでした。

 ケアンズでは4日間停泊しましたが、街中を歩いていると本当に多くの日本人観光客とすれ違いました。また、ケアンズ在住の楢崎さんご夫婦がマリーナのぽれーるの日の丸を見てわざわざ訪ねてくださり、ケアンズ停泊中に日本料理店への招待や食糧品の調達等でたいへんお世話になりました。楢崎さんご夫婦は既にオーストラリアの定住ビザをお持ちで、ケアンズを中心にヨットによるクルージングを楽しんでおられるとお聞きしました。また、楢崎さんは地元のコーストガード・ボランティアのメンバーで、今はカタマランから乗換え購入された新艇のヨットのシドニーからの回航されてくるのを待っておられました。

 9月3日のブリスベンでの出会いから46日間共に過した橋本さん、途中、ウィットサンデーからケアンズまでの20日間のクルーズを共にした山崎さんとは19日にケアンズでお別れすることになりました。当初、ぽれーるのクルーズ計画では、ケアンズからブリスベン方向に約700マイル戻ったところのバンダバーグでサイクロン時期の約5ヶ月間を過す予定でしたが、既にケアンズに到着する前からこのまま北上しヨーク半島先端の木曜島を回り、ダーウィンへ向うことを決めていました。