こんにちは、皆さん、お元気ですか。
ぽれーるは現在、モルディブのフルマーレ港(北緯4度13分、東経73度32分)に停泊しています。
今、モルディブは真夏の一番暑い時期です。
スリランカからモルディブへの航海記を送付します。モルディブ編は後刻送付します。
World Cruising Yacht "Polaire"
ぽれーる 関
3月11日15時出国手続を終えてゴールを機走で出港、港の入口から約200mの出た航路上で急にエンジン回転が低下、 艇底付近からの「シュッ・シュッー・・・」という異音と振動がコクピットまで伝わってきたためエンジンを停止しました。 船内からのエンジン等の点検では特に異常はありませんでしたが、正面からの風と外海へ続く航路帯の幅が狭いためセーリングでの外海への航行は困難な状況でした。 推進力を失ったぽれーるは風と波でどんどん岸辺の暗礁地帯へ流されていたため急遽アンカーを下ろし湾内で停止しました。
艇底の点検のために海に潜り点検したところプロペラに4〜5mほどの漁網の切れ端がしっかり巻付いていました。 アンカーを下ろしたところの海中は濁って1mほどの視界しかなく、また、うねりで時々ぽれーるは大きくピッチングしていて海中での作業は危険なため ゴール港内に引返すことにしました。無線でネービーとゴールハーバーにエマージェンシー入港を要求しましたが受入れられず、 結局、新たにスリランカへ入国するということで了解が得られました。
ぽれーるが1月12日にスリランカへ初めて入国した時とまったく同じ手順でネービーの臨検からエイジェントとの交渉、カスタムスとイミグレーションによる入国審査が行われました。 もちろん、例によってカスタムスとイミグレーションの係官にウイスキーとビールは取られました。 自力航行ができないぽれーるはエージェントと無線で交渉し港へ帰る途中の漁船に曳航されて出国時と同じポンツーンに戻ることになりました。 私が持っていたスリランカの携帯電話は運悪く11日の正午で通話の有効が切れていため、 親しくなっていたネービーのクルップ少佐やハーバーセキュリティのヘラ等に連絡が取れず、非番だった彼等が心配してぽれーるに来てくれた時は 既にすべての入国手続が終り入国時のエイジェント費US200ドルと、たった300mの曳航作業量US200ドルを支払わされた後でした。
ぽれーるのプロペラに巻付いた漁網は私の素潜り程度の能力ではとても外すことが出来ないほど巻付いており、結局、専門のダイバーに依頼することになりました。 親しくなっていたネービー曹長のシルバーが調整してくれて彼の友人のダイバーが来てくれましたが、エイジェントからクレームがつき、エイジェントの許可のない業者は私のぽれーるでは作業が出来ないというのがスリランカでのルールということでした。 結局、ダイバーと私の担当のエイジェントとの話合いで、彼等が最初US150ドルでやると言っていた作業がUS300ドル(エイジェントの取分US150ドル上乗せ)になりました。 ダイバーは高くなった分として、漁網のプロペラからの外しとともに船底のクリーンアップをやってくれました。 また、エイジェントの係員として私を担当し、いつも親しく話していたラックマー(21歳、月給1万ルピー(8千円))もエイジェントのボスの命で仕方なく申訳なさそうに私からお金を受取っていました。
そして、スリランカには再び3日間滞在し、14日の午前10時に再度出国することになりました。 13日の夜には知合ったスリランカのハーバー関係者やネービー、警察官等がぽれーるに来てくれ、第二回目の送別会が夜遅くまで続きました。 私としては翌朝の出港準備もあり、少しありがた迷惑だったのですが折角来てくれたということで最後までお付合いすることになりました。
14日10時にゴールを出港しましたが、スリランカの上空に大きな積乱雲が発達し、その日の夜はかなり大きなサンダーストームに遭遇し、 夜の8時から翌日の2時まで時化た海をクルーズすることになりました。 そして、サンダーストームが去ると今度は完全に風が無くなり、綺麗な夜空には柄杓の形をした北斗七星とぽれーる(Polaire仏語)の名前である北極星が北の空に輝いていました。 日本を出港してぽれーるは約3年になりますが、海面が鏡のような状態で月明りのない暗闇の世界で天空の星が綺麗に海面に映り、ぽれーるは星につつまれてインド洋を漂っていました。 (残念ながら海面に映った星をデジカメで何回か撮ろうと試みましたがうまく撮れませんでした。)
スリランカのゴールからモルディブのマーレまでは約420マイルですが、100マイルも進まない地点で風の無くなった海の上を2日間も漂いました。昼間は何回か国籍不明の漁船が近づいてきて「タバコか酒をくれないか」といい、「タバコも酒も持っていない」と言ってもなかなか諦めず、2回ほどぽれーるに接舷しようとして更に近づく漁船に対しては大きな声で「NO!!」といい、無線のマイクを片手に持って通信しているように装い(陸岸から約100マイルの地点ではVHF無線機は通じません。)、片手で離れるように指示していました。近づいてきた各漁船には東南アジア系の真っ黒に日焼して目がぎらついている漁師が10名ほど乗っており、私は表面上は平静を装っていましたが、内心は緊張した時間でした。
3日目の17日になって吹いてきた風は5〜6ktの目的地のマーレ方向からの弱風で、ぽれーるはタックを繰返しながらゆっくりした速度でマーレへ向っていました。その翌日から少しづつ風速が上がってきましたが、風は相変らずマーレ方向からでした。21日の午前3時にやっとマーレまで30マイルとなり、周辺の海上をチェックして仮眠のためキャビンへ下りて横になりました。そして、30分ぐらいした時、「ドーン」いう音と共に軽い衝撃が伝わり、海上の浮遊物にでも衝突したのかと思い甲板へ上がったところ、近くに全長20m程の漁船が停船しており、そこで初めて漁船に衝突(接触)したことが分りました。直ぐにぽれーるはセールを巻込み停船し、漁船が並ぶように来て、「操業中の我々の船におまえのヨットが衝突して船体が傷ついたので確認にのため漁船に乗移るように」と言ってきました。
揺れる洋上でぽれーると漁船は横抱きの状態でフェンダーをかませてロープで繋ぎ、私が漁船に乗移って船体の傷を確認し、漁船の操舵室の中で12名の乗組員の中のオーナー、船長、漁労長、機関長と英語を話す若い甲板員を含めた5名を相手に話合いになりました。幸い双方の船の損傷は軽微で漁船の右舷前部の中程に深さ5mm程度で長さ約50cmの傷が二本あり、ぽれーるは船首の前に突出ているジェネカポールとパルピットが左に少し曲り(10mm程度)、また、バウ・アンカーの角に相手船の塗料が付いていました。漁船はモルディブのマーレ港がホームポートで操業のためまだ10日間ほどは港へ帰らないため、私の方に否があるので漁船の損傷部分の修復代をこの場で払ってもらいたいと言い、私はこれからマーレヘ行き必ずマーレで待っているので港の修理の専門家を通じて必要な修理代を支払うということで最初話合いがつきませんでした。
しかし、私が一人で日本からクルーズして来たことが分り、結局、私の言分を信用してくれることになり、あたたかいコーヒーを出してくれたり、漁船のGPSのマップ上でモルディブの漁船がどの辺りで操業しているので気を付けるようにと言ってマーレでの再会を約束して別れました。ぽれーるは日本を出て約3年となる中で、この衝突事案は私の安全航行への意識が少し薄らいでいたことを大いに反省するきっかけになりました。
3月21日午後、水平線に少し靄がかかったなかでモルディブのマーレが近づきました。モルディブは26のアットール(Atoll:環状珊瑚島)が南北750km、東西120kmに分布しており首都のマーレは中央上部の東端に位置しモルディブの総人口約30万人の内12万人が東西約2.5km、南北1.5kmの小さなマーレ島に住んでいます。また、モルディブは標高が2m程度でぽれーるから見たマーレは10階建てのビル群が海の上に建並んでいるように見え、異様な印象を受けました。
17時にマーレ島と空港のあるフルレ島の間のパスを進みコーストガードに無線で連絡したところスタンバイをかけられ、5分後に再び連絡すると同じチャンネルにエージェントがでて、ここもスリランカと同じようにエージェントが海外からの船の出入国を取仕切っており細部調整を行い17時30分頃にビリギリ島の南東部の水深20mほどの海上(北緯4度10分、東経73度29分)にアンカーを下ろしました。マーレ島の周辺には1隻のヨットも見あたらず大型の漁船や大きな貨物船が約50隻アンカリング停泊しており、最初はモルディブに来る時期を間違ったのかなと思うほどでした。
18時にはエイジェントのモータボートがぽれーるに接舷し、その日の内にイミグレーションを除く、コーストガード、カスタムス及びクオランティのチェックインとエージェントとの調整が終りました。スリランカのような賄賂の要求はもちろんありませんでした。ぽれーるが停泊した場所は海峡のため潮の流れがあり、うねりも入って付近の海岸はサーフィンが出来るほど波が逆巻いておりとてもディンギーで上陸するような場所が近くになく、マーレ島までも1km以上離れていたため、エイジェントと調整し、翌朝、北東に約7km離れた空港島の北にある私のGPSのマップには記載されていないフルマーレ島(3m程の浅瀬を浚渫してその砂を1m程の浅瀬に積上げて出来た人工の島で浚渫したところが港となった。増え続けるマーレ島の人口と土地不足を緩和するためフルマーレ島は住宅地や学校用地として利用されている。)の港に移動することにしました。