こんにちは、皆さん
2010年1月17日リチャードベイの地元ヨッティーのヘニーの「天候のいいときはできるだけ早く出港した方がいい。」という助言で「ヒーロンデール」とぽれーるは予定よりも2時間早い午前11時にリチャードベイを出港しました。天気予報通り5kt前後の北東の弱い追い風でぽれーるは2〜3ktとまったく速度が上がりませでした。共に出港し前方を行くフェドルの「ヒーロンデール」は機帆走で走っているのかその姿はどんどん小さくなっていきました。ダーバンまで90マイル足らず、機走で行けば明日の未明までには着ける距離でしたが、ぽれーるはいつもの習慣で港を出ると直ぐにエンジンを切りセーリングに移行しました。
この速度で行くと明日の明るい内にダーバンに着けるかどうか少し心配になりかけた時、風速が上がったわけでもないのにぽれーるの速度がどんどん上がり始めました。そして最後には7ktを超える速度となりました。その時点でぽれーるは沖合約5マイルに位置し南アフリカの東海岸に沿って南西方向に流れるアガラス海流(約5kt)に乗っていました。アガラス海流はその年の天候、当日の気象条件等によって流速、海流幅、海域が異なります。また、この流れの速い海流は陸岸近くではその反流を伴っている場合が多いようです。
先発の「シーガル」のウラタキさんがリチャードベイからイーストロンドンへ向う時、機走でもなかなか速度が上がらないということを電話で話しておられました。多分、「シーガル」は陸岸に近い海域を進まれたのだと思いました。 南アフリカの東海岸からケープタウンに至るクルーズは、南アメリカ最南端のケープホーンほどではありませんがヨットにとって難所の一つです。このアガラス海流の海域は南西、南、南東の海流と反行する風が吹くと海流と風の力が作用して大きな三角波が発生します。これまでにも12m以上の高さの波が何回も観測されていました。
南アフリカ周辺は天候、風向の変化が速く、朝方弱い北風が吹いていたかと思うと30分後には30〜40ktの強い南風が吹いてくることもあります。だから、ここをクルーズする小さなボートのスキッパーは常に天気予報をにらみながらリチャードベイからダーバン、ダーバンからイーストロンドン、イーストロンドンからポートエリザベスというように小刻みに南下してケープタウンを目指していました。また、南アフリカの東海沿岸は大型船の隻数も多く航行に注意する必要がありました。南アフリカに寄港しないか直接ケープタウンを目指すのであればこのアガラス海流の外側の陸岸から約100マイル以上離れて航行すればこれらの危険は少ないと言われていました。
しかし、今回は天候にも恵まれ、マダガスカル海峡でのノックダウンの影響からリチャードベイに52日間も滞在し、なかなか出港を決断できなかった自分を疑わせるような穏やかな航海でした。ぽれーるはいつものように明日の明るくなってからダーバンに入港することにしていたためステイスルのストームジブだけでクルーズしましたがそれでも5kt程度出ていました。 1月18日朝8時半、ダーバン港沖に到着しましたが、さすが大きな港だけあって大型船の出入港が多く、港外にも多くの船舶が錨を下ろしていました。
港の入口まで3マイルとなったところでVHFでポートコントロールに入港許可を求めましたが、ちょうど大型船舶の出入港時間帯に入っていたためか港の入口の待機場所でスタンバイするように指示されました。ダーバン港入口の待機場所は水深が10m程度と浅く風はそれほど強くないにもかかわらず3〜4mのうねりが立っていました。速度を落とすとピッチングとローリングでかなりぽれーるが不安定なため、メインセールを半分ぐらい出し、機走しながら大きな円を描いて待機していました。そんな中、フェドルから電話がかかり「ぽれーるは今どこにいるんだ、トラブルでもあったのか?セキー」と訊いてきました。
「ヒーロンデール」はダーバン・マリーナに午前4時に既に到着して、ぽれーるがマリーナに着いていないので心配していたということでした。私から「ぽれーるにトラブルはないが今港の入口でスタンバイを命じられている。」というと「ぽれーるのマリーナのバースは確保しているので、マリーナに着く10分ぐらい前に電話をかけてくれ。」ということでした。「ヒーロンデール」も奥さんとのダブルハンドとはいってもほとんど夜中中走って来たため今頃は船の中で寝ていても不思議でない時間でした。ヨット仲間のこういった心遣いはいつもありがたく心強いものでした。
「ヒーロンデール」に初めて会ったのはチャゴスで、その後、ロドリゲス、モーリシャスでも一緒になりました。フェドルについては彼自身がなかなか自分のことについて語らないので詳しくは分かりませんが65才ぐらいでフランスでは公務員か何か公職に就いていたようでした。そして、フェドルはどちらかというと人付き合いがあまり好きでないのと自己主張が強いため、ヨット仲間からは少し敬遠されていました。「ヒーロンデール」はヨッティーがよくやる浜辺でのバーベキュウにもほとんど参加していませんでした。そして、他のヨットとは少し離れた場所によくアンカリングしていました。
彼は典型的なフランスのワイン好きの親父で太っちょで身体が大きく赤ら顔で鼻先が赤くあまり笑顔を見せないしかめっ面でした。彼の奥さんはデュアンというタイ人で彼女はたいへん気配りのできる心優しい女性でした。そして「ヒーロンデール」とぽれーるが一緒になった時はよく彼女が作るタイ料理の夕食に私を招待してくれました。最初の内はフェドルとはあまり話をしませんでしたが奥さんのデュアンを通じて少しずつフェドルと話しをするようになりました。その内、フェドルは私が渡した私の名刺に書かれていた名字のSEKIを気に入ってか私の顔を見ると「セキー!」「セキー!」と呼ぶようになりました。
待機を始めて約1時間半したところでぽれーるはやっとポートコントロールから入港許可がおりダーバン港にはいることができました。フェドルに電話をかけマリーナへ入ってバースに近づくとハンスやフランツのヨット仲間もぽれーるを待っていて係留作業を手伝ってくれました。 ダーバン・マリーナは海岸沿の細長い公園とその中を貨物電車の線路と幹線道路を挟んで高層ビルが建ち並ぶ繁華街に面し食料品等の買い出しにはたいへん便利なところでした。しかし、その海岸沿の公園にはかなりの数のホームレスと物乞いをする人達がいるため、夜中は公園付近を歩かない方がいいと言われていました。
ダーバンの街中はこの国の黒人と白人の人口比率や他の都市と比べても圧倒的に黒人の人達が多いようでした。また、ダーバンの街には新しいビルディングもありましたが全般として古い建物が多いようでした。マリーナの直ぐ近くに前述の鉄格子でしっかりガードされた3軒のマリン・ショップとセール・メーカーがありましたが、やはりぽれーるの必要な修理用部品を見つけることはできませんでした。 チャゴス以降のヨット仲間であるドイツのヨット「ジャン・フリーディア」のフランツがこのダーバンで南アフリカのビザの延長をしたというのでその要領について話を聞きくため同じマリーナに停泊中の彼のヨットへ行きました。
彼のヨットを訪れるといつものように仲良しコンビの「サブリナ5」のハンスとゲルトラウド夫婦もいてフランツの奥さんのマルレーンがいつものように氷入りのジン・フィズを出してくれました。私は彼らのヨットは既にケープタウン辺りにいるものと思っていましたが、先月、ダーバンから更に南のイーストロンドンに2隻で向っていた時、ハンスの「サブリナ5」がエンジン・トラブルを起こしたため途中から2隻でダーバンへ引き返したそうでした。そして、最後は「ジャン・フリーディア」に牽引されて「サブリナ5」はダーバン・マリーナに戻ったということでした。
フランツとハンスの話しによると3ヶ月間のビザ延長は申請すると次の日には延長のスタンプが押されたパスポートを受け取れるということでした。申請用紙や役所の場所等を書いたコピーを渡してくれました。それによるとビザ延長に必要な項目は次のようなものでした。
@ Passport _valid no less than 30 days after expire of stay.
A Motivation for additional duration.
B Proof of sufficient funds e.g. Bank Statement.
C Proof of Accommodation.
D Confirmation of onward journey e.g. Air ticket / Bus ticket etc.
E Fee R425.00 Documents not in English must be translated by a Sworn Translator.
Originals & copies of Requirements to be produced by Applicant.
上記のビザ延長に必要な項目は一般の旅行者も同じで、また、Eの申請費用の違いはあってもほとんどの先進国(先進国以外では特に書類が無くてもパスポートを持って行って口頭で申請するとビザ延長に応じてくれる国もありました。)は同じ項目でした。2回目のビザ延長や長期延長には医療機関の健康証明やその国での身元引受人等の証明が必要となることもありました。 ヨッティーの場合、通常、C宿泊証明はマリーナかヨットクラブの停泊証明、D帰国用のチケットは入国時の税関の書類と船の国籍証明書がそれに代わります。
ただ、私の場合にいつも問題になるのはBの銀行発行の資金証明でした。(資金証明は延長される期間の滞在に必要なお金を持っていることの保証です。ニュージーランドでは1ヶ月一人1000ニュージーランド・ドルの基準がありましたが、他の国では特に基準額は示されていませんでした。) この証明はインターネットで照会できる銀行口座の残高証明のコピーアウト版でも受け付けてくれました。私の資金はすべて日本の銀行でそれらの銀行の残高証明はすべて日本語で書かれていました。国によってはクレジットカードの3ヶ月間のクレジットヒストリーでも認めてくれることがありました。私のクレジットカードは日本の会社のVISAとMASTERですがインターネットで確認できる証明はすべて日本語で書かれていました。
これらのインターネットからコピーアウトした日本語で書かれた証明書で問題となるのが「Documents not in English must be translated by a Sworn Translator.」の項目でした。ほとんどの場合「a Sworn Translator」宣誓供述翻訳者?などをまわりで見つけることはできませんでした。仕方なく自分で英語に翻訳し署名をしました。翌日、フランツに教えてもらったダーバンの街の北にあるホームアフェアーズ(内務省)センター内の入国管理の事務所へビザの延長申請に行きました。朝9時に事務所に着いたにもかかわらず、既に多くの人々が順番を待っており、そのほとんどの人は南アフリカへ出稼ぎに来ているアフリカや東南アジアの人達のようでした。結局、担当官の昼休みもはさんで4時間半待ってやっと私の順番がきました。
担当官はインド系の結構若い黒縁メガネをかけた男性で私が提出した書類を1分ほど眺めていましたが、やはりBの日本語で書かれた銀行の残高証明をみて「これは何だ!」と質問されました。私がそれは銀行の残高証明で次のページにその英訳版があると言ったところその英訳版を少し眺めて「この書類の署名は誰だ。」と訊かれ、私は仕方なく自分で翻訳したというと担当官は私の提出した書類をポイと私の方へ投げ「ダメだ、次!」と言われてしまいました。私がなおも「Sworn Translatorは誰がいいのか。」と尋ねましたが「そんなこと私は知らない。」と結局追い返されてしまいました。
ビザの延長申請はニュージーランド、オーストラリア、スリランカとロドリゲスでやった経験があり、ニュージーランド、オーストラリアでは1回では認められずに何回か通ってビザ延長を勝ち取ったこともありました。そして、ヨッティーは1回ぐらい拒否されたからといって簡単に諦めてしまう人種ではありません。「今日は担当官に恵まれなかった。次回はもう少しうまくやるためにBの残高証明の英訳版はヨット仲間にでも署名をしてもらう。他の証明書もロゴを付けたりして箔のついた書類にしようか。」といろいろ考えながら約5kmの道をマリーナへ歩いて帰りました。
一日おいて再びビザ延長申請のためホーム・アフェアーズ・センターへ行きました。今度は朝の7時にセンターに着いたのですが事務所のドアがまだ開いていないにもかかわらず既に順番待ちをしている人達がいました。8時になってドアが開き業務が始まりました。この事務所のビザ延長事務を担当しているのは3名で前回の意地悪そうなインド系の若い担当官も座っていました。「神様、今日はどうかあの高慢で意地悪な彼に当たりませんように!」と心の中で祈っていました。そして、私の順番があと3番目となった時、外にベンツらしい高級車が止まり、事務所のドアを開けて一見して資産家と分かるような格好の大柄なインド系の人物が入ってきました。
その人物は彼の秘書らしい若者に命じてあの意地悪なインド系の担当官のところに行かせ、何事か話をさせていました。後から入ってきた作業服の三人にその資産家らしい男が指さしてビザの担当官の前に行かせました。そして、インド系の担当官が他の二人の担当官に何事か話をすると今まで担当官の前で座って申請していた3人は順番待ちの先頭に戻されてしまいました。そして、その作業服の三人はそれぞれの3カ所の担当官の椅子に座ってしまいました。結局、私の順番は3番目からまた6番目に戻ってしまいました。 私はかなり腹が立ちましたがほとんどの順番待ちをしている人達はこの割り込みに対しても通常のことで仕方がないことなのか無反応のようでした。審査を途中で打ち切られた人達も特に文句を言っている人は一人もいませんでした。
多分、もしその割り込みに文句を言って担当官から睨まれビザ延長を認めてもらえなくなるかも知れないと思ったのかも知れません。そして、私は自分が1年前にスリランカのコロンボでビザ延長を行った時のことを思い出しました。あの時は私がパスポートを見せながら係員にビザ延長申請はどの窓口かと聞いたとき係員が私の日本のパスポートを見て20人ほどの待っている人達の先頭につけてしまいました。日本がスリランカへかなりの資金や技術援助をしていたため申請者の国籍によって優先順序を付けたようでした。私は特に割り込みを意図したりけではありませんが、他の順番を待っている人から見ればこの場の横柄そうな資産家と同じ行為をしていたことになっていたかも知れませんでした。
9時半になって私の申請の順番が来ました。幸運にも担当官は中年の女性で受け答えは事務的ですが少なくとも前回のインド系の若い担当官よりは誠実に対応してもらえるようでした。ただ、やはり、残高証明のSworn Translatorの住所と電話が書かれていなかったのでそこを聞かれてしまいました。その署名はヨット仲間のハンスのものだったのですが、これ以上答えてしまうとハンスに迷惑がかかると思い「友人の署名」で止めました。 そして、私から「Sworn Translatorは誰が妥当なのですか」と訪ねたところ隣にいた別の担当官に確かめ「日本語の分かる弁護士か、公証人、それとも日本大使館か領事館で証明してもらえるのでは・・・?」ということしか答えてもらえませんでした。
後日ケープタウンに着いた時に分かったのですが、日本大使館や領事館ではこのような証明業務はやっていません。また、英訳版の証明書をビザ延長申請者自身が行って署名すれば特に問題はないと次の寄港地のイーストロンドンのビザ担当官は言って申請してから5分後には3ヶ月ビザ延長のスタンプをパスポートに押してくれました。更に、ケープタウンでは入港届けで訪れたイミグレーションの窓口でビザ延長申請書類も書いていない状況で、私が担当官に「もう少し南アフリカに滞在できればワールドカップサッカーも観戦できるのに、残念だ。」と言ったところその担当官は2ヶ月のビザ延長スタンプをパスポートに押してくれ「南アフリカでの日々を楽しんで」と言ってくれました。もちろん延長費もいりませんでした。要は担当官の判断次第でどうにでもなるようでした。 結局、ダーバンのビザ担当官は3名とも融通が利きそうにもないのでダーバンでのビザ延長は諦め、次の寄港地で再度実施することにしました。
ダーバン・マリーナは市営の公共施設で、ダーバン港には「ロイヤル・ダーバン・ヨットクラブ」と「ポイント・ヨットクラブ」がマリーナをはさんでありました。どちらのクラブもバースは満杯状態でしたが、海外からのヨッティーは両クラブの施設の利用は自由で「ロイヤル・ダーバン・ヨットクラブ」のレストランで無料のインターネットに接続し、「ポイント・ヨットクラブ」のバーでビールを飲みながらクラブ員の人達とインド洋やマダガスカルのクルーズについて話し南アフリカの海の状況等の話しを訊きました。ほとんどの海外から来てマリーナに停泊中のヨットのスキッパーは次の航海に備えて毎日のように天気予報をチェックしていました。そして、これらのスキッパーに出会うと必ず「いつ、ダーバンを出港するんだ?、天気予報では今週の週末あたりが良さそうだな。」というような挨拶代わりの会話を交わしていました。
ぽれーるは約2週間ダーバンに滞在し、日中は結構暑い中、セールの修理、調子の悪いウィンドラスの点検、船内の整理整頓等を行いました。そして、ぽれーるは2月3日の早朝にイーストロンドンへ向け出港しました。
World Cruising Yacht "Polaire"
ぽれーる 関