こんにちは、皆さん
ぽれーるは8月16日にナミビアのリューデリッツ港を出て、8月27日12時(世界標準時)にセント・ヘレナ島のジェームスタウン(南緯15度55分、西経5度43分)に着きました。
途中、8月24日13時30分にグリニッジ子午線(経度0度、南緯18度44分)を通過し東経から西経の区域に入りました。1400マイル(2600km)11日間の曇りがちでベンゲラ寒流の中を行くたいへん寒いクルーズでした。 現在のセント・ヘレナの気温は日中21度、夜中17度、湿度60%前後でたいへん過ごしやすく、年間を通じても気温はそれほど上がらないとのことでした。ジェームスタウンは外海に面したアンカレッジで島の北西部にあり南東の貿易風(15〜30kt)を標高800m前後の山々が盾となって防いでいます。小さなうねりが入っているため少しヨットが揺れ、時々山間から突風が吹いてきますが比較的静かなアンカレッジです。
セント・ヘレナは1502年に航海家ノバによって発見され彼の派遣国であるポルトガル国王の母の名前をとって「セント・ヘレナ」と命名されました。発見当時は無人島で後にオランダ領を経て1659年に英国領となりました。1815年にワーテルローの戦いに敗れたナポレオンの流刑地としても知られています。面積は伊豆大島を一回り大きくした122キロ平米で火山性の島です。島のほとんどは200m以上の切り立った岩で囲まれており入港前にぽれーるから見えたセント・ヘレナ島は絶海の孤島というか人間が住めそうにないような荒涼たるた島のように思えました。
セント・ヘレナの人口は約4000人でこの行政の中心地であるジェームスタウンには840人程度の人々が暮らしています。この島の人々はアジア、アフリカ、中東、ヨーロッパーの混血系の人がほとんどのようです。そして、ここの人々はたいへん愛想がよく私のようなヨッティーに対してもほとんどの人が挨拶をしてくれます。セント・ヘレナ島は山がちで飛行場はなく、ジェームスタウンは唯一の港ですが大型船の付けるような岸壁はありません。港の沖合には小さな漁船が40隻ほどブイにつながれており、海外からのヨットはぽれーるも含めて4隻でこの沖合のブイに係留しています。
年に数回、英国と南アフリカから貨物船が来て沖合にアンカリングし、はしけを使って荷物の陸揚げ積み込みを行っているとのことでした。一番近い飛行場のあるアセッション島(英国領 南緯7度57分、西経14度21分)でも北西に700マイル(1300km)離れています。ジェームスタウンのコンクリートのジェッティー(小型ボート用の桟橋)は波が時々桟橋の上を洗っており、また、狭いためディンギーを着けることができません。沖合に停泊中のぽれーるからの上陸には小さなエンジン付きの渡し船を使い無線で呼ぶと直ぐに来てくれ無料で運んでくれます。地元の漁師も沖合にブイ係留している舟への行き帰りはすべてこの渡し船を使っています。元漁師の年配の人達が当番でこの渡し船の運航をしているようでした。
セント・ヘレナには工場は一つもなく、行政官吏、警察官、港湾管理等の公務員の人が多く、その経済はほとんどを英国本国からのものに頼っているようでした。他は細々とした漁業、林業、農業と時々立ち寄る客船の観光収入及び港の使用料で成り立っているようでした。ぽれーるも港の使用料27ポンド、4日間の滞在費12ポンドを支払いました。係留中のぽれーるからは小さな草木の緑がところどころにあるもののほとんど茶色に近い切り立った荒々しい岩山が見え、その中腹に1800年頃の石造りの砦、城壁、山の頂には見張り台や砲塔台がほとんど原形のまま残っていました。夕刻、少し暗くなりかけた中で海岸の岩にあたって砕ける波が見えその音を聴いていると、ナポレオンも流刑でこのセント・ヘレナに着いた時同じ風景を見て何を想っただろうかと暫くの間しみじみと思いをはせていました。
ジェームスタウンは海に開けた谷間の街ですが海岸側には城壁があり海側から街に入るには城門をくぐらなくてはなりませんでした。街の佇まいは英国調で1774年に建てられた石のセント・ジェームス教会を中心に新しく造られた建物と残っている古い建物が調和したこぢんまりとした街でした。街の中心には山に向って延びる緩やかな上がり勾配のメイン道路があり、その両側に建物が並ぶ細長い街でした。街の中には教会、官庁、警察、郵便局、銀行、学校の建物と共に、小さな宿泊施設、スーパーマーケット、洋服、お土産、道具屋、レンタルビデオ、レストラン等のお店がありました。スーパーマーケットにはかなりの種類の食料品や雑貨がありましたが値段はやはり高く、ジャガイモとキャベツはありましたが、その他の野菜や果物は高級品として別の陳列棚に置かれていました。
また、山越えの急勾配の道の移動に必要なのか街の中では結構車が走っており、広場にはかなりの数の車が駐車していました。セント・ヘレナ島の中心地には島の外からでは見えませんでしたが植林された木、自然の樹木や草が繁る森や草原、ゴルフ場もありました。 時間があれば山中のナポレオンが暮らしたロングウッドの家や散歩をした道をたどり、彼の墓(ナポレオンの遺体は1840年にフランスへ返されています。)にも訪れたいと思っていますが、今回のクルーズ途中でスプレッターと擦れて綻んだメイン・セールの修理もしなくてはなりません。セント・ヘレナにはブラジルの事前ビザ(ケープタウンで取得、有効期間は9月21日まで)の関係であまり長く滞在することはできません。 セント・ヘレナからブラジルのサルバドールまで距離1930マイル、到着に20日間ほどみるとやはり9月1日までにはセント・ヘレナを離れなければなりません。
World Cruising Yacht "Polaire"
ぽれーる 関